この透視は、邪馬台国と卑弥呼の調査を行っている時に補足的に行われたものである。透視の対象は、飛鳥の益田岩船である。飛鳥とは、奈良県明日香村一体を指す地名で、数々の巨石遺構や古墳、天皇陵が有る事で知られている。有名な、高松塚古墳やキトラ古墳も飛鳥にある。
益田岩船は、飛鳥の観光コースから外れた場所にあるため、余り知名度は高くない。しかし、益田岩船は飛鳥でも最大で最も謎に満ちた石像物である。
ここに行く事を、強く勧めたのは私自身だった。この石像物は、一説ではゾロアスター教の拝火台ではないかとされている。しかし、確たる定説は無いので、石舞台での透視を目の当たりにした私は、マクモニーグルがどのように透視するのか、非常に興味があったのだ。
益田岩船は、山の中腹にあって、一度だけ訪れた事があった。しかし、今回登ってみると、私の記憶よりずっと急な斜面を登らなくてはならなかった。9月とはいえ残暑は厳しく、同行者一同、私のバッドチョイスに少々不満気味である。
何とか、たどり着いたものの、さすがに疲れたのか、マクモニーグルも透視しづらい様子である。しきりに、同行していたナンシー夫人と2人で、方向を気にしていた。やがて、彼は「王の玉座として作られた」と言いだした。意外な透視結果だったが、彼は、その後も岩船の周りを回りながら、何度も透視を続けている。どうも迷っているようだった。
次に口を開いたとき、彼は前言を取り消した。そして、「これは、お墓を作るつもりだった」と言い出した。岩をくり貫いて古墳の石室にするつもりが、被葬予定者が早死にしたので、完成される事なく打ち捨てられた、と言うのだ。
更に、削っている最中に亀裂が入った事も、捨てられた原因かもしれないと言う。何れにしろ、完成前に見捨てられたので、未完成のままになっている。決して、完成された物として、何らかの用途に使用されていた物では無いと言う。
更に益田岩船周辺の、四角いブロック状に突き出た部分は、まずブロック状になるように刻み目をいれ、更にその後、溝から横に削ってブロックを削り落とす予定だった、とその製作過程まで説明を始めた。
益田岩船が単なる古墳のはずが無いと思っていた私だったが、調査から帰った後に調べてみると、意外な事実が分かった。最新の研究では、〈岩船は岩石をくり貫いて横穴墓にするはずだったものが、亀裂が入ったため完成途中で打ち捨てられた〉という説が有力になってきているらしい。縦穴が掘られた岩隗を、完成後に90度回転させて、穴を横に向ける予定だったとされている。
実際に岩船のある山の斜面には、山の花崗岩をくり貫いた岩船横穴墓穴群があると言う。益田岩船の南500mの牽牛子古墳は、岩船とそっくりの構造で、岩盤を削った二個の石室を持つ古墳だという。〈この古墳が益田岩船の代わりに完成された物〉という説もある。この事実は、私は全く知らなかった。
更に、益田岩船に残るブロック状の部分は、実際に岩を整形する過程で付けられたもので、成形過程を探れる貴重な資料だとされていた。この点でも、マクモニーグルの指摘は正しかったわけだ。
全く予定に入っていなかったところに突然行って、これだけの事を言い当てるのだから、彼の能力は凄いとしか言いようがない。しかし、逆に考えると、現場の誰も実際の事を知らないからこそ、透視能力が発揮できたとも考えられる。通常彼が行う遠隔透視では、透視をするときに、ターゲットの内容を知った者は同席しない。もし同席すると、その者の顔色や表情の変化から情報を読み取ってしまい正確な透視が出来ないのだ。サイコメトリーと言う手法でも同様の事が言えるのだろう。
私にはマクモニーグルと一緒に旅行をして、はっきり分かった事が一つあった。それは、彼の好奇心の強さは並大抵のものではない、と言うことである。しかも、その念入りな観察の仕方には驚きのものがある。彼は、元々は軍人で、諜報活動に携わっていたせいだろうか? 全てのポイントで、誰よりも遥かに長く、じっくり観察を行うのだ。まるで、何一つ見逃すまいとしているようである。この観察眼の鋭さが、彼を一級の透視能力者にしているのだろう。どんなに良く見えても観察眼が無ければ、何も理解できないのだ。
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